1978年、ロンドンの街角でブルガリア亡命作家ジョルジ・マルコフが倒れました。
彼の足には小さな傷跡が残り、体内からは猛毒リシンが検出されます。
凶器は仕込み傘だったとされ、事件は冷戦時代の象徴として語り継がれてきました。
科学捜査と政治の闇が交錯するこの暗殺劇はいまも完全には解明されていません。
ALTERIAはその真相を追います。
ロンドンでの暗殺劇

年9月7日。マルコフはロンドンのウォータールー橋を通勤中、見知らぬ男に接触されました。
男が突き出した傘の先端が彼の足をかすめます。
その数時間後から高熱と激しい痛みが始まりました。
病院に搬送されますが、三日後に死亡しました。
事件直後から「傘を使った毒殺」が疑われ、イギリス当局はソ連のKGBとブルガリア秘密警察の関与を強く疑ったのです。
リシンという毒の仕組み
解剖の結果、体内から微小な金属ペレットが発見されました。
その内部にはリシンが仕込まれていたのです。
リシンはトウゴマから抽出できる天然毒で、少量でも細胞のたんぱく質合成を阻害し、人を死に至らせます。
つまり、傘の先端から射出されたペレットが皮膚を貫通し、体内で時間差をもって毒を放出しました。
この仕組みは偶然の産物ではなく、高度な技術によるものだったのです。

科学捜査と冷戦の影
科学捜査によれば、ペレットは直径1.7ミリほどの中空構造で、体温で溶ける穴を持ちます。
そこからリシンが放出される設計でした。
これは通常の犯罪者には扱えないレベルの精巧さです。
一方で、事件には明確な政治的背景もありました。
マルコフは体制批判を続ける亡命作家で、ブルガリア政府にとって脅威でした。
さらにソ連の技術支援があったとされ、冷戦の構造そのものが暗殺を生んだと考えられています。
真相の行方
イギリスとブルガリアの捜査協力は行われました。
しかし決定的な証拠は見つかっていません。
冷戦終結後に公開された文書も断片的で、指令系統や実行犯の特定には至りませんでした。
つまり「毒入り傘事件」は、科学的な仕組みが明らかになっても、政治的責任は霧の中に残されているのです。

事件が残したもの
傘に仕込まれた小さなペレットは、冷戦時代の恐怖を象徴するアイコンとなりました。
科学と暴力、諜報と文化が交錯する一点で、一人の作家の命は奪われたのです。
背後にどんな命令があったのか。真相はいまも不明です。
しかしマルコフの死は、冷戦の物語に埋もれながらも、人間の声を封じ込めた証拠として私たちに突き刺さり続けています。
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