幽体離脱は作られた記憶?

幽体離脱は作られた記憶?
幽体離脱は作られた記憶?

「自分の体を見下ろしていた」──そう語る人は、世界中に存在する。 “幽体離脱”と呼ばれるこの体験は、死の間際だけでなく、睡眠中や瞑想中にも起こるとされている。 だが、それは本当に“魂が抜けた”のだろうか?それとも、脳が作り出した精巧な幻なのか? この記事では、幽体離脱の科学的分析と、そこに潜む“記憶の改変”というキーワードを手がかりに、その正体を追う。

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なぜ人は「浮遊した」と感じるのか?

「自分の体を上から見ていた」──臨死体験者や深い瞑想状態に入った人々の証言には、驚くほど共通した描写がある。 浮遊感、明るい光、そして“戻るかどうか”の選択肢。宗教や文化を超えて似通った報告がされることで、幽体離脱は“魂が体を抜ける現象”と信じられてきた。

だが近年、心理学や脳科学はその体験に別の解釈を与えている。 “上から自分を見る”という感覚は、文化的な刷り込みと予測的記憶に基づいて構築された可能性があるというのだ。

脳が作る“第三者視点”|頭頂葉の役割

スイスの神経学者オラフ・ブランケ氏の研究によると、脳の頭頂葉に電気刺激を与えることで、人工的に“体外離脱感覚”を引き起こすことができるという。 これは、自己と空間の認識を司る頭頂葉が、身体の位置情報を誤処理することにより生じる現象だ。

実際、被験者は「自分が浮いている」「天井から見下ろしていた」と語った。 つまり幽体離脱の感覚は、脳の誤作動や感覚のズレで再現可能というわけだ。

記憶は後から書き換えられる

人間の記憶は、録画映像のように正確なものではない。 むしろ“物語”として再構成される性質を持っている。 とくに強烈な体験やトラウマは、記憶の断片をつなぎ合わせて“もっともらしい”内容に編集されることがある。

ある研究では、催眠状態で“幽体離脱した”と語る人々の記憶が、他人の話や映像に影響されて構築されていたことが判明した。 これは、記憶の“改変”が意識されないまま進むという事実を示している。

「意識」とは何か|魂との境界線

“魂”と呼ばれる何かが存在し、それが肉体から離れるとする説は、スピリチュアルな思想と親和性が高い。 一方、神経科学の視点では、意識は脳の情報処理の総体とされる。 だが、それだけでは“なぜ自分が自分であると感じるのか”は説明できない。 この“ハードプロブレム”と呼ばれる問題が、今なお意識研究の最大の謎とされている。

結論:浮遊体験が“嘘”だとしても

人がそこに「確かに浮いていた」と感じるなら、それはその人にとって現実なのだ。

重要なのは、その体験が何を意味し、どんな解釈を生むかだ。 幽体離脱の正体を探ることは、人間の意識、記憶、そして“現実”というものの本質を考えるための鏡でもある。

ALTERIAでは今後も、このような“目に見えない現象”に科学と哲学の両面から迫っていく。

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