知識は光だと信じられてきた。
だが歴史のどこかで、光は封じられ、闇に沈んだ。
20世紀初頭、トルコ東部の遺跡から、黒曜石のように光る未知の書板片が発見された。
学者たちはそれを「黒曜の図書館(Obsidian Library)」と呼んだが、調査報告書はすぐに回収され、以後公開されることはなかった。
残されたのは、断片的なスケッチと、「読むことが許されない文字」という記述だけ。
黒曜の文字
発掘記録によれば、書板はまるで刻印ではなく焼き付けられたような構造をしていた。
顕微鏡で観察すると、文字は削られた痕跡がなく、微細な熱変成で黒曜の表層が変色していたという。
当時の研究者は、「記録媒体としての石」という概念に衝撃を受けた。
それは、金属や粘土を超えた情報保持の技術を意味していたからだ。
しかし、研究チームの中心人物が急死したことで、この調査は突然打ち切られた。
報告書も原資料も、政府の倉庫に封印されたままだ。

“封印”された叡智
この事件以降、同様の黒曜片が他の遺跡でも見つかったが、いずれも調査初期段階で「自然石と判定」されている。
一部の歴史家はこれを意図的な過小評価と見ており、「高度な知識体系を持つ文明が存在した証拠を、
現代が“認識できない形”で封じたのではないか」と主張する。
古文書学では、知を封じる文化を“沈黙の記録法”と呼ぶ。
それは、真実を消すのではなく、読む手段を失わせることによって保護するという思想。
黒曜の図書館も、その最たる例なのかもしれない。

失われた“読む者”たち
21世紀に入り、赤外線撮影による再解析が行われた。
結果、黒曜片の表層に人間の神経構造と似たパターンが浮かび上がったという。
それはまるで、思考を記録する装置のようだった。
学者の一人はこう語っている。
「これは文字ではなく、意識の投影だ。
黒曜石が“記憶媒体”だった可能性がある。」
だが、その後、再解析データも行方不明となる。
まるで、書板そのものが“読む者の意識”を拒絶したかのように。

闇に還る知識
真実を封じたのは、神か、人か。
もし黒曜の図書館が実在するなら、それは“情報の墓”であり、人類が自らの知を再び闇に葬った記録でもある。
知識を隠すという行為――
それは、過去を守るためなのか、それとも未来を恐れたからなのか。
そして、今もどこかで黒曜の書板は静かに眠っている。
読む者を選ぶその黒い輝きは、知の光ではなく、忘却の光なのかもしれない。

