深夜の帰り道、ふと視界の端に“自分とよく似た背中”が見えることがある。
街灯の明かりに照らされたその影は、歩き方も、肩の揺れ方も、まるで自分そのもの。
でも、追いついて確認すると――
振り返った顔が、自分ではなかった。
そんな奇妙な体験が、最近いくつもの街で報告されている。
“ドッペルゲンガー”と呼ぶには少し違う、身近すぎる不気味さを持った都市伝説だ。
気配の正体
体験者の多くが口をそろえて言うのは、「気配が自分と同じだった」ということ。
足音のリズム、歩幅、立ち止まり方。
それらが自分の癖とまったく一致していたという。
ある女性はこう語る。
「追いついた瞬間、その人が振り返りました。
でも、顔立ちは似ているのに、感情が“空っぽ”だったんです。」
恐怖というより、“自分の抜け殻を見るような気持ち”だったと彼女は言う。
この“感情の欠落”が、体験談に共通する特徴だった。

影が生まれる場所
興味深いのは、目撃場所のほとんどが住宅街の細い路地だという点だ。
車の通らない静かな夜道。
壁と壁のあいだを風が細く抜けていく。
人がいたとしても、見落としてしまいそうな暗がり。
都市伝説研究者によれば、こうした狭い空間は“行動の癖が反射しやすい”という。
つまり、歩き方が壁に跳ね返り、自分のリズムが錯覚的に戻ってくるのだと説明する。
だが、この現象には説明のつかない点がある。
それは――
“振り返った顔”が、誰とも一致しないことだ。

誰にも似ていない“自分”
監視カメラに残った映像を見ると、後姿は確かに体験者に似ている。
しかし、顔を確認すると、“似ていない”どころか、実在の人物データに該当しない顔だった例が複数ある。
一人の男性は、「自分が自分を見つめ返してきたような感覚だった」と話す。
しかし同時に、“視線に温度がなかった”とも語っている。
「そこに“誰かがいる”気配がしないのに、
見つめられている感じだけが残るんです。」
この無機質さこそが、“もう一人”と遭遇した人々に共通する恐怖の中心にある。

すれ違いの意味
専門家のあいだでは、ストレスや疲労による自己投影現象だとする説もある。
しかし体験者の何人かは、“自分に似た後姿が路地の奥に消えたあと、その路地の空気が急に冷たくなった”と証言している。
まるで、そこに確かに“存在”があったかのように。
そしてもうひとつ気になる共通点がある。
遭遇した翌日、多くの体験者が「自分が少し違う人間になった気がする」と語っているのだ。
それは気のせいか、あるいは“もう一人”とすれ違ったことで何かを置いてきてしまったのかもしれない。
――あなたは今日、すれ違った後姿が本当に“知らない誰か”だったと言い切れるだろうか。

