夢の中に、見知らぬ“同じ女”が現れる──それは世界中で報告されている奇妙な一致だ。国籍も文化も違う人々が、「あの女を見た」と語る。誰も彼女の名前を知らず、現実では会ったこともない。それなのに、何百人、何千人もの人々の夢に“彼女”が現れる。
この不可解な現象は、2000年代以降インターネットを介して共有され、やがて「This Man(この男)」という類似の夢人物体験とも結びつきながら、現代的な神話へと変貌を遂げていった。だが、“女”に限定した体験報告は、その性質がさらに深く、無意識そのものの構造に触れている可能性がある。
本記事では、「夢に現れる同じ女」という現象を、実際の証言、心理学、集合的無意識、スピリチュアル領域まで横断しながら読み解く。これは単なる偶然か、脳の錯覚か、それとも、夢という領域を通じて現れる“何か”の存在なのか?
「あの女がまた出てきた」|体験談に共通する“存在”
日本では「夢に出てくる謎の女」という形で掲示板に投稿された体験談が話題になったことがある。投稿者たちは互いに面識がないにもかかわらず、「長い黒髪」「表情が見えない」「寝ている自分を覗き込んでいた」といった描写がほぼ一致していた。
海外でも同様の現象が報告されており、特に2010年代にSNS上で拡散された「同じ女性のスケッチを複数人が独立して描いた」という画像群は、衝撃を与えた。

彼女は会話をしない。夢の中では常に“近くにいる”が、接触しようとすると遠ざかる、あるいは場面が急に切り替わることが多いという。何かを伝えようとしているようでもあり、ただ“いる”だけのようでもある。
「This Man」現象との比較|なぜ“女”だけが語られ続けるのか
2006年頃から広まった「This Man(この男)」の夢体験現象──世界中の夢に現れる無名の男の顔という報告もあったが、それと比べて「同じ女」の報告はより長期的に続いている。
考察者たちは、「This Man」がメディアミックス的なフェイクを含んでいた可能性を指摘する一方で、“同じ女”に関しては、少なくとも複数の非営利的報告がネット黎明期から存在していたと証言する。
注目すべきは、「夢に出てくる男」は多くが“語りかけてくる存在”であるのに対し、“同じ女”は基本的に“黙って見つめてくる”という点だ。この違いが、現象の印象をまったく別のものにしている。
心理学から見る“夢の中の人物”と集合的無意識
ユング心理学では、夢に登場する象徴的存在を「アーキタイプ(元型)」と呼ぶ。特に“影”や“アニマ/アニムス”といった概念は、無意識の中の異性人格や抑圧された自己の投影として機能する。
“同じ女”があまりにも多くの人の夢に現れる場合、それは集団的なトラウマ、記憶、あるいは文化的に刷り込まれた「共通の女性像」の顕現かもしれない。たとえば都市部で育った世代にとって、「見えない顔の黒髪の女」というイメージは、ホラーや神秘の象徴として深く潜在化している。

また、記憶の混線──つまり映画やテレビの断片が夢に混ざり、それを現実のように再構築してしまう「偽記憶」の影響も指摘されている。だが、“同じ夢”を“同時期に見る人が増える”という点は、偶然にしてはできすぎている。
ネットと夢がつながる時代|“無意識の同期”は本当に起きている?
情報化時代、私たちは眠っている間もネットワークに「感情的な影響」を受けている。特定の画像が流行すれば、それを見た多くの人が同じような夢を見ることもある。
ただし、“同じ女”の夢が語られ始めたのはインターネットの初期であり、SNSアルゴリズムが個人に最適化されるよりもずっと前だ。つまりこの現象は、「ネット以前の同期性」が関与している可能性が高い。
もしも人の無意識が集合的に何かと“つながっている”のだとすれば、夢はその回線がもっとも活性化する領域なのかもしれない。
彼女は誰なのか|その問い自体が“夢”なのかもしれない

“彼女”は本当に存在するのか。それとも我々が「そういう存在がいる」と信じることで、無意識がその像を作り出しているのか。
夢に現れる“同じ女”という現象は、個人の体験にとどまらず、人間全体の心の底に触れるものだ。語られることの少ない無意識の共鳴現象──それがこの夢の正体なのかもしれない。